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【「あの日」の絵】明親小5年1組の震災(3)外に出てビックリ、前の家が消えた(産経新聞)

 ■生きていく力備わった

 15年前の1月17日午前5時46分。父は入院先の病院、母は勤務先の中央市場。両親が不在の中、塩田洋子さん(26)は、神戸市兵庫区の自宅で兄2人と眠っていた。

 自宅マンションは築20年以上。母の美津代さん(59)は激しい揺れに、「きっとぺちゃんこだ」と、泣きながら自転車で帰ってきた。塩田さんはテレビ台と32インチのテレビが「ハ」の字形に転がった間に頭を挟まれたが、けがはなかった。長い髪が引っ張られて痛かったことを今も鮮明に覚えている。

 停電で真っ暗な中、兄が必死に自転車をこいでライトを照らしてくれた。衣服などを持って外へ飛び出すと、向かいの文化住宅が「なくなっていた」。サイレンの音がひっきりなしに響き、長田区や中央区の方角に大きな赤い炎が見えた。恐ろしかった。

 父にもけがはなく、車で学校に避難した。美津代さんは父の世話、避難所の手伝いにと走り回った。ガスは使えなかったが、水はすぐに復旧し、電気鍋が使えたので、お好み焼きを焼いて、友人の家へ届けたりもした。

 食料は中央市場からなんとか調達できたため、配給にはほとんど並ばずに済んだ。申し訳なさそうにする美津代さんに、塩田さんは「神様がみてくれてるからやと思う」と言った。

 幼稚園のころから体が弱く、手のかかる子供だった。足を悪くした父が療養生活を送るなか、美津代さんが仕事と育児、家事に追われる姿を見てきただけに、当時11歳だった塩田さんの母へのねぎらいの言葉だった。

 以来15年。進学、出産…と、いろんなことがあった。今は実家近くのマンションに5歳の息子、悠人(はると)くんと2人で暮らす。保育所に預けて働く日々は何かと大変だが、マイナスに考えることはほとんどない。「命がある限りは大丈夫、何とかなるって思う」

 父はリハビリが奏功して自宅に戻り、家族で顔をそろえて笑いあえる。苦しいこともたくさんあったが、震災を乗り越えた自分に生きていく「力」を感じている。

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